料理が美味しいグルメ宿 天竜峡の温泉旅館「峡泉」
峡泉からのお知らせ
2012年5月のお品書き
毎月内容が変わる峡泉の懐石料理。5月のお品書きをアップしました... 続き»
バリニーズエステ早期予約割引プラン
毎月限定5組早割プランのご紹介です...続き»
2012年4月のお品書き
毎月内容が変わる峡泉の懐石料理。4月のお品書きをアップしました... 続き»
ちょっとした天竜峡の歴史
コンノート殿下 時又港御乗船
ウエストン氏 記念碑
伊那節・竜峡小唄などにも歌われている天竜舟下りは、今の舟下りと違って下伊那郡南部から遠州にかけての重要な交通機関であった。時又港には上り下りの荷物を扱う問屋、船頭のたまり場になる船宿、そして外国人の定宿もあってなかなかの賑わいであった。時又から遠州鹿島まで二十余里の舟下りは、歌で想像するようなものでなく、汗にまみれて重労働であった。この天竜舟下りは明治二十九年、英国人ウォルター・ウエストンの『日本アルプスの登山と探検』で紹介された。現在、天竜峡の地にウエストン氏の碑がある。
また、大正元年(1912年)明治天皇が崩御されたとき日本に来日された当時の英国のアーサー・オブ・コンノート殿下(ヴィクトリア女帝の第三子で公爵)が天竜峡探勝のため九月二十、二十一日の来飯している。そのための歓迎ぶりは並々ならぬものがあり、出迎えには、約一万人の人々が繰り出したようである。その後、内外の皇族、文化人、政治家の関心にとまり、続々と有名人が来峡されている。本年はアーサー・オブ・コンノート殿下が来飯されて丁度100年の年に当る。
(飯田・下伊那新聞雑誌発達史より)







